head04

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01s01
標高4000メートル、チリとボリビアの国境付近にて(99年11月)

02s02
爆風パタゴニアの木。風に逆らって生えることができなかった(99年2月)

0303
地平線まで続くウユニ塩湖でキャンプ (99年9月)

04s04
僕を仲間だと思っているアシカ。ガラパゴスにて (99年11月)

05s05
標高4400mに駐在するチリの国境警備隊.酸素ボンベとコカの葉を分けてもらい、高山病をしのいだ。2日間お世話になったのでチャーハンを作ってあげた (99年9月)

06s06
世界遺産、ペルーのマチュピチュ遺跡。インカ・トレイルを歩いて辿り着いた (99年9月)

07s07
一宿一飯のお世話になったアフリカ・カメルーンの村で(96年7月)

08s08
膝を痛めてしまった厳寒のアラスカ・ハイウェイ (98年11月)

09s09
村長と住所交換。村ではあたたかいもてなしを受けた。セネガル (96年3月)

10s10
南米パタゴニアの日没。毎日夕日を眺めながら夕食を作った (99年3月)

11s11
「本物は誰だ?!」ギルギットのパキスタン人と (97年8月)

12s13
戦争の残骸が残るベトナム、ディエンビエンフー (98年8月)

13s14
年間で最も大切なお祭りに招待された。ブータン、パロにて (98年3月)

14s14
モーリタニアの砂漠を走った。西サハラだ (96年2月)

15s16
イスラム教シーア派の聖地、イマームレザー廟。夜中でも信者が絶えることはない。イラン、マシャド(97年4月)

16s17
中国雲南省の少数民族の市場。昔と同じ時間が流れていた(98年6月)

17s19
ブータンの小学生。制服がかわいい! (98年3月)

18s20
標高5200m、チベット。ヒマラヤを南に越えた(99年1月)

19s21

 

遅ればせながら、無事帰国しました!! 1995年9月26日から1999年12月28日まで、4年3ヶ月。43カ国、約5万5千キロの旅路でした。 Newsletter Vol.3ではアジアからアラスカに飛んだところまででした。その後帰国までの一年間は、パタゴニアとアンデス中心に南米大陸を縦断。訪問国はチリ、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、ブラジル、エクアドル。予定していたコロンビアとベネズエラは、治安悪化と天災のため訪れることができませんでした。帰国はエクアドルからです。


今回のニューズレターは、前半「南米ダイジェスト編」、後半「追想編」、最後に「旅のデータ」をまとめました。少しの間、お茶など飲みながらお付き合いいただけると嬉しいです。

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第1位 爆風で有名なパタゴニア。自転車から降りると、荷物を満載した自転車が何と200メートルも吹き飛ばされてしまう。そして道に戻ってくるのに3時間もかかった。というのは嘘だが、テントを張るのと火を使って調理するのに、すごく苦労した。
第2位 エクアドルのオタバロで、モルモット(クイ)によるインディヘナの伝統治療をしてもらった。生きたモルモットを体にこすりつけ、悪い場所を診断、即治療というもの。患部がモルモットに移転する。ダニに噛まれて寝つきが悪かった僕は、その日から熟睡できたのだった!(悪い頭は治らないらしい)
第3位 アンデス山中、ボリビアにある世界最大のウユニ塩湖。琵琶湖の12倍もある。乾季は表面の水が乾き切り真っ白な塩の大地となるので、湖上を走った。標高3700メートルもあり紫外線が強烈で、肌を出しているとやけどする。塩ラーメンを作った。

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第1位 なんといってもガラパゴス諸島。世界中で沢山の「野生の王国」を訪れたが、ここだけは話しが違う! 神様が地球のこの1点だけ別世界を創り上げてしまった、としか考えようが無い。命あるものの美しさに、ため息すら出なかった
第2位 野生の勘が発達した。荒野で水のありかが匂いでわかったり、危険を予知することができた。真っ暗闇でモノのありかが一発で探り当てられた。また風と話をして友達になると、逆風も味方についてくれた。毎晩キャンプしながら、月の満ち欠けで時の流れを数えた。そんなことが当たり前になった。
第3位 男達はいつも愛について語っていた。街角でも音楽を聞いても「僕は君のために」とか「君はきのうよりキレイ」とかばかり。おかげで僕も「コラソン」(ハート)というスペイン語を聞くだけで、胸がキュンとするようになってしまった。

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第1位 またしても高山病。チリからアルゼンチンへアンデスの峠越え。標高にして4300mほどだったので油断していた。助けを求める交通が無く、水も無い状態でもしかしたらということを初めて想像した。突風の中、道端にうずくまっていたら何と州知事がジープで通り掛かり、酸素ボンベとコカの葉のある国境警備隊まで乗せて行ってくれた(このわずか6キロが自力で走れなかった)。
第2位 治安最悪といわれたペルーの首都リマ。町の中心広場では、ドロボウが仲間同士で腕時計をひったくる練習をしていた!!被害に遭った日本人によると、その腕前の鮮やかさは怒りではなく感心に値するという。エクアドル・ペルーでは、日本人は何らかの犯罪に遭っていた。

番外編sa04
ある朝、起きると右肩に赤黒いシコリが それは日増しに腫れ上がり、熱を持ち、痒くなった。どう考えても寄生虫の卵が体内でかえり、今まさに皮膚を破って外に出てきそうだった。はっきりいって怖かった。医者に行くと、「ただの虫刺されだ」と言われた。ううむ。

4year3m
アフリカのギニアではマラリアと赤痢を併発し、死線をさまよったが現地の医者に助けられた。イランの砂漠では54℃、冬のチベットではマイナス30℃を経験した。アンデス山中では高山病に倒れ、うずくまっていたところを通りがかった州知事に助けられた。冬のアラスカでは膝を痛め、1ヶ月以上自転車に乗れずリハビリに専念した。 日本語が恋しくてKDDの録音メッセージを聞いて癒されたこともあった。暑さでロウソクがまっすぐ立たない夜も何度か数えた。一方で、僕の身に何が降りかかろうと、夜になると日が沈み、朝がくると必ず日が昇った。こういった自然の偉大な営みに、いつも感動していた。そして励まされていた。 アフリカの村を訪ねると、自力で来ていることが分かるから、村人は「お、こいつちょっと違うな」と見てくれた。地図に載っていない村の名前や、いつも食べている土地の食べ物を知っているから、親しみを持ってくれた。通りすがり、「こんにちは!」と言えば「やあ、どこからきたの?」とコミュニケーションのあるスピードが自転車だった。 走っている時は,「果たして終わりが来るのだろうか」と絶望的に長く思うこともあったが、終わってしまうとすべて一瞬のことにしか思えない。どんなに感激したこともしんどかったことも、どんな強烈なことも優しいことも、一つ残らず思い出に変わってしまった。残っているのはその思い出のかすかな匂いと、今の自分だけだ。そう思うと、これからも一瞬一瞬をしゃぶり尽くすように生きるしかないんだなあ、と実感する。どうせ同じ時間を過ごすなら、好きなことをやればいいんだと思う。そしてその「好きなこと」を、一つでも増やしていきたい。

一人では無理だった
帰国して、「4年以上も一人で凄いね」と言われることがある。しかし4年以上も走り続けられ、いい思い出ばかり持って生きて帰れたのは、家族、友人、会社、現地で出会う人、スポンサーのおかげだと改めて感謝している。特例として「有給休暇」で送り出してくれたミキハウスには、親父のような社長はじめ1100人の仲間が働いている。その一員として旅立てたこと、つまりそのみんなの思いが、僕を守ってきてくれたのだとも思う。 現地で出会う人達は本当によく理解してくれた。手に入りにくい日本食を惜しみなく食べさせてもらって、どれだけ元気になっただろう。信じられぬほど親身になってくださった協賛企業の方々。また毎日仏様の前で手を合わせてくれていた祖母。みんなに支えられ、励まされ、その度に初心に戻ってやってこれた。 一人でできるかと思っていたが、絶対に無理だった。残念なことに毎年JACCの会員が海外走行中に命を落としている。ベストをイメージしながらも、最悪の事態に備える大切さを仲間の死をもって痛感した。アフリカで僕と同じ宿に泊まって、身ぐるみはがされた仲間もいる。家族にかけた心配に関しては,僕から口にすることはできない。

帰国して
渡航中、常にベストをイメージしつづけてきた。それが習慣となり、帰国してからもすべてをポジティブに見ることができる。いつ何があってもそれは自分の責任であり、それがどういうものであれ、そのすべてに感謝できる。僕はこれまでに蒔いてきた種を刈り取りながら、今、将来に刈り取ることになる種を蒔いている、ただそれだけのことなのだ。旅も日本での生活も、何も変わるところは無い。

幸運なめぐり合わせで、旅の様子が9月頃、本になることに決まった。写真を多用して、自分なりに感じたところを伝えていけたらと思う。印税は全部、お世話になった生活の苦しい国の人達に寄付することにした。「命まで救ってくれた彼らに、一体何が返せるか」とずっと考えてきたが、これがその一部になれば何より嬉しい。

data オールアバウト4年3ヶ月

平均走行距離/日:  欧州100km、北米100km アジア40−60km 南米30−100km アフリカ15−60km
最高走行距離/日: 140km(フランス)
最低走行距離/日: 2km(フランス)
費用:  約900万円
使用自転車:  2台(ツーリングバイク) 
使用タイヤ:  スパイクタイヤ含め計18本 
基本装備:  自炊道具、キャンプ道具、着替え、短波ラジオ、カメラ一式、スペアパーツ、整備用工具、薬、注射器、地図、ガイドブック、食料、非常食、家族の写真、浄水機、クレジットカード、トラベラーズチェック、アドレス帳、ヘルメット、蚊帳など
重量: 自転車16キロ、装備45−50キロ〔冬装備と夏装備、食料と水の量による〕 合計約63キロ
日本との連絡: ファックス、電子メール、テレパシー
海外連絡拠点: 丸紅海外支店(父の紹介)、DHLオフィス、日本領事館など
言葉: 英語とフランス語は出発前に。スペイン語は南米で。スワヒリ、トルコ、ウルドゥ、ペルシャ、中国、チベット、ゾン、ラオス、ポルトガル語などの片言は現地で
病気: マラリア、赤痢、膀胱炎、腱鞘炎、アメーバー性下痢、皮膚病各種、左膝及び首の故障、恋の病
宿泊: ヨーロッパはYH、アフリカでは村または商人宿、アジアはキャンプや安宿、北米キャンプまたはモーテル、南米はキャンプか安宿。 テントは二人用、寝袋はマイナス30度に耐えうるダウン製
食事: キャンプ時は自炊または民家で。ガソリン使用の調理器具とコッフェル、高地では米が炊けないので圧力鍋を携帯。町では市場や大衆食堂で。「気」を食べて走ったことも
: 携帯式浄水機を使用(フィルター交換式)しかし大部分の国では生水を飲用
暑さ寒さ: イラン南部摂氏54度の砂漠、マイナス30度に凍えたチベットの夜

協賛企業: ミキハウス、DHLジャパン、コダック、ニコン、オリンパス光学工業、ワールド通商、松下電器産業、キャラバン、キャノンデールジャパン、三菱レイヨン、シチズン、キャットアイ、シマノ、ナショナルタイヤ、OGK販売、キャットアイ、小川テント、インターテック、スター商事、リンク、IIC、アライテント、大倉スポーツ、ブシューコーポレーション、エバニュー、パタゴニア、モンベル ありがとうございました

 

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現在、4年以上にわたり休暇を取らせてくれた(株)ミキハウスに戻り、出発前と同じ人事で採用活動をしています。また各地の学校などに呼んでいただき、世界の体験をスライドとともに紹介させてもらっています。殺人的な忙しさですが、帰国後も理解ある仲間と素晴らしい出会いに恵まれ、とても幸せです。こう思えるようになったのは、言うまでもなく力添えして下さった、これを読んでいらっしゃる皆様のおかげです。旅立つ前との変化を感じるこの頃ですが、なかなか言葉で現すことができません。これからしばらくは、この混沌とした日本の社会を旅し、それを形にしていきたいです。様々な形でのサポート、本当にありがとうございました。ゆっくり報告できずに申し訳ありません。また連絡させていただきます。

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月刊誌「ミキハウス・ラブ」に連載が始まります。
毎月1日、全国の書店で発売です。本や写真展に関しては、随時ホームページにてお知らせいたしますので、よろしくお願いします。

 

 

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